東京地方裁判所 平成4年(タ)147号 判決 1993年9月17日
原告
甲野太郎
右訴訟代理人弁護士
柴田五郎
被告
甲野花子
右訴訟代理人弁護士
長谷川宰
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
《請求》
一原告と被告とを離婚する。
二原告と被告との間の長女春子(昭和六〇年七月四日生)及び長男夏夫(昭和六一年一一月二一日生)の親権者をいずれも原告と定める。
《事案の概要》
一証拠及び弁論の全趣旨によって容易に認められる事実(証拠は、弁論の全趣旨に<書証番号略>、証人甲野秋夫の証言及び原被告各本人尋問の結果)
1 原告(昭和二八年二月四日生)と被告(昭和三二年九月八日生)は、昭和五八年一〇月八日に婚姻の届出を了した夫婦であり、長女春子(昭和六〇年七月四日生)及び長男夏夫(昭和六一年一一月二一日生)をもうけている。
2(一) 原告は、学業(高校)を終えた後も、肩書住所地で両親(父秋夫・母冬子)と一緒に暮らしていたところ、昭和五八年九月に被告と見合い結婚をし、両親との同居を続けた(両親が一階に、原被告夫婦が二階に居住した。)。
原告は、高校卒業以来、秋夫経営の建築工務店(右自宅一階が事務所)で働いており、被告は、看護婦の資格を有しているが、結婚後一年位経ったころから、いわゆる専業主婦となった。なお、秋夫は、右自宅でいわゆるコインランドリーの商売もしている。
(二) 被告は、昭和六三年夏ころ、姉の紹介で、キリスト教の一派である「エホバの証人」の信者との聖書研究会を始め、平成二年夏ころからは、「エホバの証人」の集会にも参加し、これを信仰するようになっていたところ、平成三年四月一七日(水曜日)、右集会に参加して帰宅したとき、秋夫から行き先を聞かれ、「エホバの証人」の集会に参加してきたと答えたため、右信仰のことを秋夫に知られた(それ以前に原告がどの程度のことを知っていたかは、ともかくとする。)。
右のとおり被告が「エホバの証人」を信仰していることが秋夫に知れて以来、右信仰をめぐって被告と秋夫や原告との間で争いが続き、被告は、同年一一月一九日、自宅から数百メートル離れた秋夫所有のアパート(被告肩書住所地)に移った。それ以来、原告と被告は別居状態にある。前記二子(以下単に「子供」という。)は、被告が右アパートに移るとき同伴したものの、直ちに原告が連れ戻し、それ以来、原告及びその両親が養育監護している。
なお、原被告及び子供は、同年八月七日(但し、原告は遅れて同月一二日)から同年一〇月一五日まで、右アパートで暮らし(もっとも、原告は、ちょうどそのころ顔面神経麻痺を患ったため、右アパートに一緒に寝泊りしたのは同年九月六日までの一か月足らずであり、同年九月一一日から同年一〇月九日までは病院に入院し、退院後は前記自宅に戻った。)、同年一〇月一五日に自宅に戻った。
(三) 原告は、平成三年一二月末、被告との離婚を求めて家事調停の申立てをしたが、右調停事件は、平成四年三月に不成立で終了した。
なお、被告は、同年四月ころ、「エホバの証人」の伝道者の資格を取り、それ以来、「エホバの証人」の伝道活動にも参加している。
二原告の主張
1(一) 被告は、「エホバの証人」の宗教活動のため、家事・育児等をおろそかにするようになった。例えば、
少なくとも週二回以上集会に参加し(参加する曜日・時間は、日曜日の午前八時半ころから午後一時ころまで、火曜日と金曜日の午後七時半ころから午後九時ころまで、水曜日の午後一時半ころから午後五時ころまで。)、日曜日の集会に参加するときは朝食も昼食も作らず、夜の集会に参加するときは子供を放置したままであり、掃除その他の家事や育児に対する目配りがおろそかになった。ベランダの掃除を手抜きして平成三年七月下旬ころ室内に大量の蟻を侵入させたり、同年一〇月一九日夜から翌日昼過ぎころまで前記コインランドリーの洗濯機に洗濯物を入れたまま放置するなどのこともあったし、原告が前記のとおり入院したときも、冬子の半分位しか看病に来なかった(そもそも原告が顔面神経麻痺を患ったのは、被告の信仰・宗教活動のことが原因であったにもかかわらず。)。
(二) 原告及びその両親は、神と仏の両方を祭る多神教(むしろ無宗教)、強いて分類すればゆるやかな仏教信者であるが、被告は、「エホバの証人」の信仰のため、盆や彼岸等に仏壇に線香をあげて拝んだり墓参りをしたりするなどの宗教的行事に全く参加しなくなったばかりか、子供も楽しみにしている七夕・ひな祭り・節句等の習俗的行事でさえ拒否するようになり、それがため、家庭の不和が生じた。
(三) また、被告は、「エホバの証人」の集会に参加するとき、子供も巻き込もうとし、体調の悪いときでも無理に連れて行ったことがあるぐらいで、子供にも悪影響を与えている。
2 町場の建築工務店を経営していくためには、神式や仏式の地鎮祭や上棟式を家族全員で準備したり、施主の葬式に妻が代理で出席して線香をあげるなどの必要もあるところ、「エホバの証人」を信仰する被告にはそれらのことが期待できず、かくては右経営に重大な支障がある。なお、家族に「エホバの証人」の信者がいるというだけで、近隣や取引先との交際上、マイナスに働く。
3 原告及びその両親は、平成三年四月一七日、被告が「エホバの証人」を信仰していることを初めて知り、右1のような事態になることが予想されたし、右2のようなことも心配されたため、被告に対し、その実家の両親も交えるなどして何度も、右信仰を止めるよう、少なくとも宗教活動に熱中して家事や育児等をおろそかにすることのないよう説得し要請したが、被告は、頑として聞き入れず、宗教活動は週一回にすると約束しながら、その約束も破って前記のとおり宗教活動を続けた。
そのため、原告は、精神的にも疲れ果て、被告に対する愛情・信頼を全く失い、離婚意思を固めた。
4 以上によれば、原被告の婚姻は、既に破綻していて、これを継続し難い重大な事由があるというべきであるから、原告は、民法七七〇条一項五号に基づいて、被告との離婚を求める。
子供の親権者にはいずれも原告がなるのが相当である。
三被告の反論
1 被告は、「エホバの証人」を信仰するようになっても、家事や育児等をおろそかにしたことはなく、平成三年四月一七日に右信仰のことが秋夫に知れるまでは、極めて円満な夫婦関係・家族関係を維持していた。
ところが、秋夫が、「エホバの証人」に対する強い偏見・反対感情から、右同日以降、被告に対し信仰を止めるか離婚するか二者択一を迫るという短絡的な態度をとったため、ついに本件のような離婚訴訟という事態になった。
被告が同年一一月にアパートに移ったのも、秋夫らに責め続けられる緊急事態から一時的に避難するためであったところ、その後、被告が自宅に戻ろうとしても、これを秋夫らが許さない。
2 同居期間中の被告の宗教活動は、前記の平成三年四月一七日までは、週一回一時間程度の家庭聖書研究会が主で、そのほかには日曜日午前の集会に計四、五回参加しただけであり、同日以降は、秋夫らに行動を監視されて、集会には全く参加できず、家庭聖書研究会にもほとんど参加できなくなった。もっとも、アパートで暮らしていた同年九月から同年一〇月一五日までの間は、週一回の家庭聖書研究会と日曜日一、二時間の集会に参加した。同日から同年一一月にアパートに移るまでの間は、日曜日の集会に二回参加しただけである(しかも、一回わずか一〇分から一五分程度であった。)。
なお、別居後は、週一回の家庭聖書研究会と、日曜日二時間、火曜日一時間、金曜日一時間四〇分の集会(その内容は、公開講習会、聖書研究及び書籍研究)に参加している。
また、被告は、習俗的行事に反対したことはない。
3 被告は、現在なお、原告との夫婦同居生活を強く望んでいるし、子供と一緒に暮らして養育監護したいと切に願っていることはもちろんである。秋夫の反対が強いだけで、原告自身の気持ちは別であると信じている。
《判断》
一前掲各証拠に、弁論の全趣旨及び<書証番号略>を併せると、以下の事実が認められる。
1 前記の平成三年四月一七日までは、被告は週一回一時間程度の家庭聖書研究会に参加するほか、日曜日午前中の集会や水曜日午後(昼間)の集会に時々参加していた程度であり(夜間の集会には参加していなかった。)、その信仰や宗教活動は、秋夫はもちろん原告もほとんど知らなかったぐらいで(もっとも、原告は、被告が聖書を読んだり日曜日に外出したりすることから、「キリスト教関係のことをしているのだろう」と薄々感じていた。)、夫婦関係や家庭生活に特に障害となるようなものではなく(家事・育児も普通にこなしていた。)、夫婦関係も家族関係も特に問題はなく円満であった。
2 ところが、平成三年四月一七日に右信仰・宗教活動のことが秋夫に知れたときから、事態は一変した。すなわち、
秋夫は、「エホバの証人」について、他の宗教は全て邪教であるとして排斥する極めて排他的・唯我独尊的な特異な宗教であり、その信者は、家事や育児よりも宗教的活動を優先させ、墓参りや仏壇を拝むことをしないばかりか、七夕や節句等の習俗的行事も拒否し、近所付合いも悪くなる、などと聞いていたことから、被告が「エホバの証人」を信仰していることを知るや、息子の嫁が「エホバの証人」の信者であると得意先や下職との付合いにも多大な支障が生ずるとの思いもあって、被告に対し、右信仰を止めるよう要求し続けたのであり、原告も、秋夫らから「エホバの証人」のことを聞かされて、秋夫の意見に同調し、同様に要求するようになった。
右要求は、「宗教を止めるか離婚するか」の二者択一を迫るなど、かなり短絡的かつ感情的であったし、「止める決心がつくまで帰って来るな」と言い渡して二、三度実家(長野県)に帰らせたり、何度か実家の両親や秋夫の知人を交えて説得するなど、かなり強硬かつ執拗でもあったが、被告は、「信仰は止めない」と対応した。もっとも、途中からは、「どうしても止めないのであれば宗教活動は週一回にすると約束せよ」という内容の要求もされたのであり、被告も、平成三年七月末には、原告宛に「集会には週一度としておきます。約束します」という念書を書いた。
なお、前記のとおり原被告夫婦及び子供が平成三年八月からアパートで暮らすようになったのも、秋夫が原告に対し、経済的に苦労すれば被告も変わるのではないかと助言したからであった。そして、そのころから、秋夫が原被告夫婦に渡す給料を少なくしたため、被告はパートで働くようになった。
3 ところで、被告は、右2のような状況のもとで、しばらくは、集会にはもちろん家庭聖書研究会にもほとんど参加できないでいたが、右のとおりアパートで暮らすようになってからは、秋夫や原告の期待に反して、原告にも特に相談することなく、週一回の家庭聖書研究会と日曜日午前中の集会に参加するようになって、原告が前記のとおり入院していた間も参加し続け、子供を連れて行こうとして原告や冬子に止められるというようなこともあった。そしてまた、前記のとおり平成三年一〇月一五日に自宅に戻ってからも、一か月位の間に、日曜日午前中の集会に二回位と火曜日や金曜日の夜間の集会に二回位参加した。なお、そのころ、被告は、コインランドリーの洗濯機に洗濯物を入れたまま忘れてしまい、迷惑をかけたことがあった。
4 右のような経過のもとで、平成三年一一月中旬ころから、原告や秋夫が被告に対し離婚の届け出を強く要求する事態となったため、被告は、一時的に難を逃れるつもりで、前記のとおり同月一九日に子供を連れてアパートに移ったが、原告と秋夫は、直ちに子供を連れ戻したうえ、その後、被告が自宅に戻ろうとしても固く拒絶し、現在に至っている。
5 なお、被告は、宗教上の理由から、仏壇に線香をあげて拝んだり自ら七夕の飾付けをするなどのことはしないが、しかし、七夕や節句等のいわゆる習俗的行事に異を唱えるようなことまではしなかった。
6 原告としては、前記原告の主張2(工務店経営への悪影響等)のような思いが強く、また、いくら説得しても頑として聞き入れず週一回という約束も簡単に反古にされたという思いがあって、被告に対する愛情・信頼をかなり失っており、離婚の意思が固い。子供については、両親の助けを借りて自分が養育監護したいと考えている。
他方、被告は、別居後、信仰をますます深め、伝道等の宗教活動をかなり積極的に行っているが、原告への愛情は持ち続けており(離婚請求は原告自身の本心ではないと思っている。)、両親との関係はうまくいかないとしても、原告及び子供との共同生活の復活を強く願っている。そして、子供への愛情は強く、家事調停を申し立てたうえ、定期的な面接をしている。
二以上の事実に基づいて検討する。
被告の信仰・宗教活動が原因で、原被告の夫婦関係にはかなり深刻な亀裂が生じているし、原告は、被告に対する愛情・信頼を失い、離婚意思がかなり固いといえる。そしてまた、信仰の自由は、夫婦間においても尊重されるべきはもちろんであるが、夫婦として共同生活を営む以上、おのずから限度があり、互いに協力して円満な夫婦関係・家庭生活を築くため、相手方の意思や立場も十分に尊重しなければならないというべきところ、被告の平成三年八月以降の宗教活動には、夫である原告の意思や立場を軽視ないし無視したものと非難されてもやむを得ない面があり、それゆえにこそ原告が被告に対する信頼を失った面があるといえる。
しかし、被告の信仰・宗教活動は、同年四月に、秋夫が何が何でも止めるようにと感情的かつ強硬に要求するまでは、夫婦関係や家庭生活に特に障害となる程のものではなかったのであり、秋夫や原告が、もう少し、被告の信仰に対し寛容な気持ちを持って、冷静に被告との話合いを続けていたならば、かなり違った展開になっていたのではないかとうかがえる。また、被告の同年八月以降の宗教活動についてみても、同居期間中のものは、それ自体はそれ程激しいものではなく、前記のとおり原告の意思や立場に対する配慮に欠けていた面があるのも、それまでの秋夫や原告の強硬かつ執拗な態度が影響しているといわざるを得ない。
しかも、原告にしても秋夫にしても、被告の信仰が工務店の経営に支障があることを重視しているようであるが、実際にそのような支障が生じたわけではなく、将来の抽象的可能性であるにとどまるから、その点を冷静かつ現実的に考え直せば、被告の信仰に対して、もう少し違った見方ができるはずである。
そして、別居生活は未だ二年に満たず、被告は原告との夫婦共同生活の復活を希望していること、幼い子供に対して原被告双方が愛情を注いでいるところ、子供のためをも考えて今一度冷静に話し合う余地があり、またそうすべきであること、原告が被告の信仰についてもう少し寛容になり、被告が円満な夫婦関係・家庭生活を築くため自己の信仰・宗教活動を自制するならば、やり直しの可能性もあること、等々の諸事情を総合考慮すると、原被告の婚姻関係は、未だ完全に破綻するには至っておらず、やり直しができる可能性が残されているというべきである。
三以上の次第で、原被告の婚姻は、未だ破綻しているとはいい難く、これを継続し難い重大な事由があるとは認め難いから、原告の本件離婚請求は理由がない。
(裁判官貝阿彌誠)